境内案内
伊賀八幡宮の社殿は「本殿」「幣殿」「拝殿」の三連からなる権現造りとなります。権現造りの本殿は入母屋造が多い傾向にありますが、伊賀八幡宮の本殿は珍しい流造りの建築物です。
この本殿は、徳川家康公によって慶長16年(1611)に造営されました。桧皮葺の屋根には千木と鰹木がのっています。
本殿・幣殿の周りを囲み神域を守る透塀も、国の重要文化財に指定されています。
徳川家康公の本殿造営から25年後の寛永13年(1636)、徳川家光公によって、本殿に増設し造営されました。
全国の八幡社では、八幡神の御使いである「鳩」のモチーフが多く用いられます。しかし伊賀八幡宮の拝殿の障壁画は、家康公が好んだ「鷹」が阿吽の対で描かれている点が特徴的です。
正面中央の破風や妻飾りなどが、全国でも珍しい形となっています。
幣殿、拝殿などとおなじく寛永13年(1636)に造営された随神門には、神域の守り神・随神様が門の両側に配置されております。
随神様の像が市の指定文化財であり、随神様を安置する御門は愛知県内で伊賀八幡宮のみといわれます。
門の四隅で屋根を支える力神や、鮮やかな彩色の蟇股の彫刻など、多数の装飾が施されています。
随神門正面に位置する、蓮池にかかる石橋です。
橋が架けられたのは寛永13年(1636)。徳川家光公の命により境内の整備を行った際、木橋の工法を取り入れて造りました。
石造りの太鼓橋は珍しく、精緻な装飾が見所です。
国家『君が代』に「さざれ石の巌となりて」と歌われる石です。
苔が生すまでの長い時間をかけて、大小さまざまな石が一つに集まって固まった姿に、皇室による平和な御代を永遠にという願いと、国民の同朋意識が込められています。
伊賀八幡宮の正参道は、奥の社殿から神橋、石鳥居、一の鳥居と、北から南へまっすぐ伸びています。
南北の軸の上に一直線の配置は、北極星を祀る北辰信仰に基づいており、徳川家光公による造営によって現在の形に整備されました。江戸時代初期の形式が現在も残っている例は珍しく、当時を物語る配置として高く評価されています。
北極星は、真北にあって動かず、古くから方角を知るための標とした星です。夜に参道に立つと、伊賀八幡宮の随神門の真上に北極星が輝く姿が見られます。