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蓮池と厭離穢土欣求浄土

蓮池と厭離穢土欣求浄土

厭離穢土欣求浄土
オンリエドゴングジョウド

「穢れたこの世を厭い、平和な極楽浄土へ生まれ変わることを心から願う」


松平九代にあたる徳川家康公の旗印でもあり、松平四代親忠公が最初に掲げた旗印でもあります。

親忠公の時代、応仁の乱以降、世は乱れ、
伊賀八幡宮のある井田野の地でも度々大きな合戦がありました。
親忠公が井田野の近くに館を構えるなど、この地域は戦いの要所でした。
当時の松平家は一族の数が多く、それらをまとめる頭領として、
親忠公はこの場所に一族の守り神=氏神の社を創建されました。

それが伊賀八幡宮です。

その頃、親忠公が、大樹寺開山の高僧に作らせたものが「厭離穢土欣求浄土」の旗でした。
多くの戦国武将の旗印は、自身の武功や加護を祈るものでしたが、
親忠公は一地方豪族でありながら、乱世を終わらせるという大願を掲げたのです。
国全体の平和を見据えることは地方武家にはあまりにも大きな夢だったことでしょう。

時は過ぎ、松平9代にあたる家康公も、氏神である伊賀八幡宮を大切になさいました。
家康公の父と祖父は家臣によって殺されたと言われており、岡崎は優しいばかりの土地ではなかったでしょう。
壮絶な境遇と戦国の混乱の中で、心の拠り所となったものは何だったのでしょうか。

一族の氏神である伊賀八幡宮の社に、家康公はどんな思いをかけたのでしょう。

家康公は、四代親忠公と同じ「厭離穢土欣求浄土」の御旗を掲げます。

そして三河武士団とともに戦乱の世をおさめ、江戸に幕府を開きます。

家康公の御孫に当たる家光公は、祖父の思いを継ぐように境内を整備します。 家康公ご造営の本殿に付け足す形で、幣殿と拝殿を増築し、

随神門、参道、鳥居、そして蓮池を整備します。

何代にもわたって平和を願った松平家と徳川家。

戦国の泥沼から、260年もの泰平の礎となり、父祖からの願いはついに実を結びます。

蓮池の花々はその思いに重なります。

ハスは、泥の中から芽を出し、大輪の美しい花を咲かせます。堂々とした蓮の花は極楽浄土を思わせます。

厭離穢土欣求浄土「穢れたこの世を厭い、平和な極楽浄土へ生まれ変わることを心から願う」

蓮池と、そこにかかる神橋は、江戸初期のそのままのものです。
旗印と蓮池の、広く大きなつながりを感じてみてください。

(令6.6.14加筆修正)