伊賀八幡宮史逸話
ホーム伊賀八幡宮について > 伊賀八幡宮史逸話

伊賀八幡宮史逸話

伊賀八幡宮由緒逸話
伊賀八幡宮宮史逸話 伊賀八幡宮宮史逸話
天文四年(1535年)。十二月、織田信秀が、岡崎城を攻めとろうとしたとき、松平家八代の広忠公は、伊賀八幡宮に戦勝を祈願して、織田勢を井田ヶ原に迎えうった。そのとき先頭にに白馬に乗った武者が現れ出て、敵陣めがけて白羽の矢を放った。すると伊賀八幡宮の神殿が鳴動し、宮の森の上から黒雲沸きのぼり嵐をよび、たくさんの白羽の神矢が雨のように敵陣にとんだ。たちまち、二万余りの敵は敗走していった。広忠公は、伊賀八幡宮の御加護也と感激し、みずからその神矢を拾い、神前に奉納した。
家康公も崇敬の念きわめて厚く、初陣の参詣を吉例に、以後、大きな合戦の際には必ず祈願した。
伊賀八幡宮宮史逸話 伊賀八幡宮宮史逸話
桶狭間の合戦の時には、今川勢が敗れ、利もなく軍をひき返し、追手を逃れて、ようやく矢作川にたどり着いたけれども、対岸へ渡る川瀬が見つからず、迷っていた処、一頭の鹿があらわれた。伊賀八幡宮の神使に違いないと、その鹿に従い、結果家康公は、無事に対岸の大樹寺に入ることができた。
関ヶ原の合戦や、大阪の陣の折にも、神殿が鳴動したり、石鳥居が西に移動したりするなど、それぞれに不思議な吉兆があった。
こうして、伊賀八幡宮は松平家の頃より徳川将軍家の家門の守護神として、深い尊祟を寄せられてきました。
ともかく、公のご生涯は艱難辛苦の連続でしたが、遡ること実に七十年。松平家五代にわたる先祖の方々の労苦のいとなみがあったことに、深く思いを致すことが大切です。
東照公御遺訓
人の一生は重荷を負うて
遠き道を行くが如し
急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
心に望みおこらば
困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久の基
いかりは敵と思へ
勝事ばかり知りて
負くることを知らざれば
害その身にいたる
己を責めて人を責むるな
及ばざるは
過ぎたるよりまされり
人は唯身程をしれ
伊賀八幡宮史逸話

前のページへ戻るにはこちらをクリック→ 前のページへ戻る

伊賀八幡宮

住所
〒444-0075
愛知県岡崎市伊賀町東郷中86

伊賀八幡宮
電話番号
0564-26-2789
伊賀八幡宮
FAX番号
0564-21-4605

伊賀八幡宮

伊賀八幡宮
伊賀八幡宮

ページ上部へ